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三菱燃費不正から1年 信頼回復は?


三菱燃費不正から1年 信頼回復は?

三菱自動車の燃費不正問題の発覚から1年が過ぎた。軽自動車の一時生産・販売停止、日産自動車からの出資受け入れを経て、再出発を期した同社だが、国内の販売は依然として厳しい状況だ。過去に2度のリコール隠しに続く3度目の不祥事を起こした三菱自。消費者からの信頼の回復はまだ道半ばだ。
 三菱自の燃費不正が明らかになったのは2016年4月20日。国土交通省で開いた記者会見で相川哲郎社長(当時)は深々と頭を下げた。同社は自社ブランドと日産ブランドの軽4車種の生産と販売を即日停止。サプライヤーや販売店に不安が広がった。10年におよぶ経営再建を終え、ようやく次の成長戦略を打ち出した矢先だっただけに、3度目の不正発覚は三菱ブランドにとって再起不能と言われるほどの打撃だった。
 急転直下、日産が三菱への出資を発表したのは3週間後の5月12日のことだ。不正を指摘したのは日産だったが、日産は三菱自との提携を破棄するどころか、34% を出資して三菱自を傘下に収める決断を行った。日産は軽の商品企画を行う共同出資会社、NMKVを三菱自と共同で運営しているが、2010年12月に発表した業務提携拡大の構想はもう少し幅広いものだった。カルロス・ゴーン社長は「三菱とはもっとやれることがある。そこへ(燃費不正という)不幸なできごとが起きて、しかも株価が下落した」と出資の決断に至った経緯を語った。
 三菱自は土壇場で日産に救われた格好だが、その分、改革も中途半端では済まされない。相川社長辞任後に社長を兼務した益子修社長は、新たな経営体制が決まれば自分は辞任するとしていたが、ゴーン氏に引き留められ、三菱自の改革実現という責任を負う。
 ゴーン氏も自ら三菱自の会長に就任するとともに、日産の社長も降りて三菱自の改革に益子氏と二人三脚で臨む態勢を敷いている。また、日産からトレバー・マンCPO(チーフパフォーマンスオフィサー)を益子氏の右腕となるCOO(最高執行責任者)として三菱自に送り込んだ。4月1日付で、さらに執行役員4人と管理職を三菱自に派遣した。不正の再発防止と社内改革のため、日産は資金面だけでなく人的資源もつぎ込んで“日産流”に三菱を変えようとしている。
 しかし、消費者の反応はいまひとつだ。国内販売は11月に前年同月比を上回ったものの、12月以降は3月まで4カ月連続の前年割れとなっている。2016年度は結局、前年度比21.7%減の7万9779台(速報値)にとどまった。軽だけでなく、登録車も26.3%の減少となっており、三菱自にとって厳しい状況が続いている。
 もっとも、年間100万台規模の三菱自の世界販売の中で国内が占める割合はそもそもごくわずかだ。益子氏は成長の場を東南アジアに求め、タイ、インドネシア、フィリピンでの販売拡大に向けた布石を打ってきた。その一方、国内は日産との協業によって軽自動車の開発を継続できたが、その他の車種は開発を絞り込んできた。
 結果として国内販売は10万台規模に縮小したが、ここまでは三菱が描いたグローバルでの成長戦略のシナリオ通りだったと言える。しかし、今度の不正で販売は底割れした。失墜したブランドを取り戻すことはできるのか。日産との提携強化が吉と出るのか。今後の三菱車の販売動向が注目される。




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